縄文遺跡を巡る旅  青森津軽
写楽のフォトギャラr-

新型コロナ感染拡大の中、予防接種を2回終えた老人二人が
この度世界文化遺産に指定予定の北海道・北東北縄文遺跡群
巡りに行ってきました。

2021年5月26日「北海道・北東北の縄文遺産群」について、世界遺産委員会の諮問機関
イコモスによる評価結果がユネスコ世界遺産センターから文化庁に「記載」が適当との勧告がなされ、7月末には世界遺産登録が確実になりました。

北海道・北東北の縄文遺産群のうち今回は青森に所在する遺跡を巡ってきました。


はじめに訪れたのは亀ヶ岡石器時代遺跡です。
青森県つがる市木造亀ヶ岡に所在する
亀ヶ岡縄文館内に考古資料室があります。
日本を代表する縄文文化の一つである縄文時代晩期の亀ヶ岡文化。

亀ヶ岡文化は、北は北海道から南は東北地方南部と新潟県の一部を含む広大な文化圏を形成した。
亀ヶ岡式土器は北海道から東北地方全体にかけてみられる縄文晩期の土器群の総称。

特徴は、様々な器形に多様で複雑怪奇な文様が描かれ、赤色塗料が塗布されている点である。
遮光器型土偶がこの地から出土した。

1622年津軽藩二代目藩主津軽信枚がこの地に亀ヶ岡城を築こうとした際、土偶や土器が出土したことから遺跡が発見された。


この遺跡のモニュメントのモデルになっている遮光器土偶は、個人所蔵を経て、1957年に重要文化財に指定されて、現在は東京国立博物館所蔵になっている。
これが遮光器土偶のモニュメント
遺跡には土壙墓群が数か所発掘されている。
地域の方がボランティアで解説をしてくれました。
遺跡のある亀ヶ岡は地名の通り小高い丘の上ですが。眼下には広大な水田が広がっています。
かつてはこの北方にある十三湖がこのあたりまで広がっていたそうです。
土砂の堆積で埋まったようです。
そんな理由で亀ヶ岡遺跡のすぐ近くの丘の上には貝塚があります。

田小屋野貝塚です。
この貝塚下の土壙墓の一つからは女性の人骨が出土しています。
骨盤には妊娠の痕跡があり、成年後半から熟年の遺体と考えられるということです。
これだけでは草ッパラにしか見えませんが貝塚ですが埋戻しているので原っぱです。
かつては潟湖でした。

この地の北方にある十三湖がこちらまで広がっていたようです。
つがる市縄文住居展示資料館カルコ内には
遮光器土偶のレプリカ(実物は東京国立博物館で見られます)が展示されています。

実物が現地にあると良いのですがね。



目にあたる部分がイヌイットやエスキモーが雪中行動する際に着用する遮光器(スノーゴーグル)のような形をしていることから名称がつけられた。
つがる市縄文住居展示資料館カルコ内

縄文人の生活
田小屋野貝塚で出土した女性の人骨(写真)
亀ヶ岡遺跡で発掘された石器類や貝輪
成人女性の人骨
縄文土器
縄文晩期の土器は形状がスッキリしてます。
注口土器は今でも使えそうです。

酒でも入れて一杯やりますか?
小さな遮光器土偶

この土偶にも左足がありません。
理由は分かりません?
初日は五所川原から五能線で不老不死温泉
に宿泊
 
列車から夕陽を眺めて
翌日早起きして、、江戸時代に北前船の寄港地として栄えた深浦へ

五能線快速列車 橅
深浦駅ののホーム
真言宗醍醐派 春光山 円覚寺

津軽三十三か所観音霊場 第十番札所
太宰治が宿泊した「秋田屋旅館」を
文学館として公開
 ふかうら文学館 正面
十三湖の北西部に浮かぶ小島にある奈良時代の遺跡
中島には橋が架けられています。
十三湖から岩木山がのぞめます望めます。
中島 にある資料館では十三湊に所在する遺跡群
十三湊を中心とした環日本海交易図
五月女萢遺跡{さおとめやち}
十三湖北岸の砂丘上に位置する遺跡
遺跡の時期・年代は、縄文時代後期・晩期、弥生時代、奈良時代、平安時代、中世の複合遺跡


出土した遺物
磨製石斧
十三湖から津軽半島北端の竜飛岬に足を伸ばしました

竜飛岬灯台
海上から霧が発生して対岸の北海道が霞んでいました。


この日は五所川原に戻って宿泊でした。
翌朝 早めにホテルを出て鶴の舞橋を観光

JR東日本のPR 吉永小百合CMでおなじみ
平成6年岩木山の雄大な 山影を湖面に美しく映す津軽富士見湖に、日本一長い三連太鼓橋「鶴の舞橋」として架けられた。。


全長300メートル
歴史旅仲間のNさんと

雄大な岩木山を背景に
観光はここまで 
大森勝山遺跡

今から約3000年前の縄文時代晩期の環状列石が発見された遺跡。

 2021年7月世界遺産構成遺産に登録


環状列石は、埋葬、祭祀・儀礼に深く関わるもので、膨大な日数と労力をかけて作られており、縄文人の組織力を見せつけるモニュメントでもあります。

 
登録に備えて遺跡の整備が進められていた。
捨て場
ここからは土器、石器、石製品、土製品などの様々な遺物が出土している。

盛土によって整地された台地の背景に岩木山が良く見える。
縄文人の感性には脱帽です。
もう少し上からのショットだと環状に置かれた石の様子が分かるのですが。
組石の大部分は遺跡近辺の河原で採集される輝石安山岩が使用されている。
ここでは土器を埋設した遺構が発見されている。
土器埋設遺構

土器の中からは動物の骨と同じ成分が発見されており、お墓であった可能性もある。
環状列石の南西約100メートルの所から竪穴住居跡見つかっている。
中央には石組炉が見つかっている。
別の場所では屋外炉も発見されてれている。

屋外炉
垂柳遺跡

北東北のこの地に水稲耕作の遺跡が最初に見つかっている。
垂柳遺跡は、津軽平野東部の田舎館村所在する弥生時代中期の水田跡。


検出された水田面積は3800平米に及ぶ。
小区画に細分化されている。
田舎館村はたんぼ アートで有名なところですね。
田舎館村埋蔵文化財センター

こういっては失礼ですが、東北の片田舎の
施設にしては展示内容に感心しました。
発掘された水田が保存されています。

畦畔がはっきりと分かります。
発掘当時の写真
田舎館村埋蔵文化財センターに実物保存されている水田は高樋遺跡と言います

田舎館村近くに国指定名勝 盛美園があります



清藤盛美は、農業(地主)を本業にしていたが、他方で政治的にも経済的にも活動していた。戸長や村長を勤める傍ら青森商業銀行・尾上銀行創立に参画し、やがて尾上銀行頭取になった。その一方では「盛美園」を造営した。
初代清藤次郎盛は
鎌倉幕府5代目の執権北条時頼の家臣であった。ときに時頼の寵姫唐糸御前は、女性達の嫉視反感に耐えかねて鎌倉を去る事になった。時頼は唐糸御前を盛秀に託し再会を約した。一行は海路十三湊に着き名野岡村(今の南津軽郡藤崎町)に居を定めた。しかし唐糸御前は時頼行脚の風聞に接し、池に身を投じて自殺した。盛秀は主命を果たせなかった責任を感じて鎌倉に帰らず猿賀の地に永住した。

盛美園は、武学流の神髄を示したものといわれ、
我が国における明治時代三名園の一つに数えられています。
盛美館

盛美館は、庭園を鑑賞するために建てられた和洋折衷洋式の建物で、明治42年に完成されました。
小牧野遺跡は、青森市野沢字小牧野に所在し、縄文時代後期前半に作られた環状列石を主体とする遺跡です。
遺跡は、荒川と入内川に挟まれた舌状台地の標高140メートル付近に位置しています。
これまでの調査では、3重構造の環状列石のほかに竪穴式住居跡、土器棺墓や土坑墓群、貯蔵穴や遺物の捨て場、湧水遺構、道路跡等が見つかっています。
遺物は、土坑墓群を主体とする墓域や捨て場を中心に土器や石器、石製品などが見つかっており、とくに際立ったものとして祭祀的要素の強い三角形岩版や円形岩版が見つかっています。
住居跡

柱穴跡だけです。
土坑墓


遺跡では、100基をこえる土坑墓が、環状列石に隣接する東側緩斜面一帯に分布しています。

 眼下には陸奥湾を眺めることもできる
遺跡から車で数分のところに

縄文の学び舎・小牧野館

があります。
 前日宿泊した青森駅前のホテルから20分ほどのとこにある全仏山青龍寺に


青龍寺境内にある大日如来像。1984(昭和59)年に造立された。高さは21.35mと、奈良や鎌倉の大仏よりも大きく、青銅座像としては日本一の大きさを誇っている。
木造として東日本最大の五重塔
青森市郊外の豊かな自然の中に佇む昭和大仏。その高さは21.35m。奈良の大仏、鎌倉の大仏を凌ぎ、青銅座像としては日本一の高さを誇る大仏です。
いよいよ旅の終わりの目的地までやって来ました。

特別史跡三内丸山(さんないまるやま)遺跡は日本最大級の縄文集落跡です。
この遺跡に来るのは三度目でしたが、都度新らたな知識が入ってきます。


綺麗に舗装された道は縄文時代の道を復元してます。
道路の左側には環状配石墓が並んで発見されている。

大人の墓の周りを石で囲んだもの。
遺跡中心部が復元されている。
南盛土

竪穴住居や大きな柱穴などを掘った時の残土、排土や灰、焼けた土、土器・石器などの生活廃棄物をすて、それが何度も繰り返されることによって、周囲より高くなり、最終的には小山のようになりました。
盛土の中から大量の土器・石器の他に、土偶やヒスイ、小型土器などまつりに関係する遺物がたくさん出土しています。


盛土は南と北二ケ所発見されている。
丘陵の平坦地に大型堅穴建物群が発掘されている。
大人の墓(土坑墓)
発掘された土坑墓は屋外保存されている。
北の谷

縄文時代前期(紀元前3900~3300年)には
おもにゴミ捨て場として利用されていた。

この藪の下は湿地になっています。



北盛土
盛土の中には土器片などが埋まってます。
復元されたれた大型掘立柱建物
 
甕棺墓?
大型掘立柱建物と大型堅穴建物
柱穴に残った栗の柱
大型堅穴建物の内部

柱穴内の栗の木
考古学者や建築学者らの考証によって
建物が再現されているが、はたして実際は
どんな建物で̀あったであろうか? 
ここからは「さんまるミュージアム」内の展示物

三内丸山遺跡から出土した重要文化財
約500点を含む総数約1700点を展示。
異形石器

使用目的が分かりません。
奇怪な形の土偶
女性の土偶でしょうか、安産祈願か多産祈願の為に作られたのでしょうか。

何故女性か❓ わかりますね。
ムンクの「叫び」を連想させます。
様々な人面土偶
この人面土偶は能面の翁の(^^♪のようです。
写楽の古代史跡探訪

2021年6月27日~30日