内裏塚古墳群の最北端にあたる、現在のJR内房線青堀駅近くに帆立貝型の前方後円墳である上野塚古墳が5世紀末頃築造される。 |
稲荷山古墳 |
墳丘長106メートル、周溝部を含めると全長202メートルの、内裏塚古墳群内で盟主墳のひとつとされる古墳。古墳主体部の調査はこれまで行われていないが、墳丘から検出された埴輪から6世紀後半に築造されたと考えられている。 |
稲荷山古墳 |
墳丘長106メートル、周溝部を含めると全長202メートルの、内裏塚古墳群内で盟主墳のひとつとされる古墳。古墳主体部の調査はこれまで行われていないが、墳丘から検出された埴輪から6世紀後半に築造されたと考えられている。 |
内裏塚古墳 |
内裏塚古墳群で最初に築造された古墳は、内裏塚古墳である。内裏塚古墳は小糸川流域で最初に築造された前方後円墳と考えられており、墳丘長144メートルというその大きさは内裏塚古墳群のみならず、南関東(埼玉、千葉、神奈川、東京)の中で最大規模を誇っており、最初にして最大の古墳が5世紀半ば、小糸川下流域の砂丘跡の微高地上に築造されたことになる。 |
2014年6月1日
古墳群内最大の古墳である内裏塚古墳から名づけられた
内裏塚古墳群は千葉県富津市の小糸川が形成した沖積平野上にある。古墳群は北西側は海岸線、東側は小糸川の氾濫原、そして南側は小糸川旧流路で区切られる約2キロメートル四方に広がっている。古墳の多くは沖積平野上にある、かつて砂丘であった微高地上に築造されている。微高地は小糸川下流域に数列あって、北東方向から南西方向へ伸びており、内裏塚古墳に属する多くの前方後円墳は北東側に後円部、南西側に前方部を向けている