2011.8.21~26
BGM 寺内タケシとブルージーンズ 津軽じょんがら節
8月21日日曜日 8時12分発 新青森行き はやぶさに乗車 |
||
E5系電車はやぶさは今年3月5日に デビュー 東北新幹線最速列車である E2系電車「はやて」 「やまびこ」の275km/hを上回る、 最高速度320km/h (運行開始時は300km/h)での 営業運転を行う 東京新青森間を最短3時間10分 で結びます。 |
||
いよいよ出発です。 | ||
普通車の車内 内装は東海道新幹線N700系に較べると やや安っぽい感じ? |
||
東京を離れます。 (この写真は入線時のものです) |
||
ロングノーズの先頭車は格好が良いですね。 | ||
一時間ちょっとで仙台に到着。 | ||
さらに一時間ほどで盛岡です。 | ||
新青森駅には11時42分定刻に 到着しました。 同行の孫の日記の感想は、 「新青森駅が綺麗だった。」 その通りです。 |
||
この駅でこの日の昼食弁当 を購入、 八甲田牛の焼肉弁当 美味しそうですが、 実は孫には不評でほとんど 食べませんでした。 味付けが薄かったようです。 小生はもちろん完食です。 |
||
新青森駅から無料のバスで 三内丸山遺跡へ 特別史跡三内丸山 (さんないまるやま)遺跡は 日本最大級の縄文集落跡です 。発掘調査によって 当時の自然環境や生活、 ムラの様子などの 解明が進められています。 |
||
14年ぶりに訪れましたが 、随分施設が整備されていました。 |
||
縄文時遊館などは 当時ありませんでした。 |
||
縄文時遊館の館内に 遺跡のジオラマが 遺跡の入り口に展示されてます。 |
||
遺跡めぐりスタートです。 三内丸山遺跡は、今から 約5500年前~4000年前の 縄文時代の集落跡で、 長期間にわたって 定住生活が営まれていました。 |
||
まずは縄文人の竪穴住居へ お手手繋いで仲が良いでしょ! 縄文時代の住居は地面を掘り 込んで床を造りました。 中央には炉があります。住居の 平面形や柱の配置、 炉の位置や構造は時代によっ て変化が見られます。 |
||
中に何か居そう? | ||
大きな住居跡が復元されていました。 | ||
この中は後ほど出てきます。 | ||
14年前に較べると復元された住居 がとても多くなっています。 |
||
東北地方のの夏休みは、この日が最後であったようで、 22日月曜から新学期だそうです。 地元の子供たちも来ていたようです。 |
||
右側のやぐらはかなり高いもので柱の太さも半端 ではありません、 今から4千年前に日本人もたいしたものです。 |
||
これが建物内部です。 遺跡の遺構や発掘されたものから 推測で復元されたものでしょうが、 かなり当時の実物に近いのでは? |
||
天井まで相当あります。 | ||
当時の縄文人の主食は栗であたようです。 周辺には栽培した栗林があったようです。 |
||
それにしても何のためのものだったのでしょう? 物見の櫓か、祭事に使ったものか? 地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡です。 柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、 間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルの クリの木柱が入っていました。地下水が豊富なことと 木柱の周囲と底を焦がしていたため、 腐らないで残っていました。6本柱で長方形の 大型高床建物と考えられます。 |
||
三内丸山遺跡から今度は路線 バスで青森駅にやってきました。 このキャラクターは 「さんまるクン」ですよね! |
||
この駅は東北本線の青森駅 今は奥羽本線青森駅と青い森鉄道青森駅です。 (青い森鉄道は新幹線が開通する前の東北本線です) |
||
かつての青函連絡船はここから出ていました。 | ||
青函連絡船「八甲田丸」がメモリアルシップとして 保存されています。 |
||
青函トンネルが開通するまでこの線路から貨車が 連絡線に乗っていきました。 |
||
今は懐かしいJNR (ジャパンナ・ショナル ・レイルウェイ国鉄ですね) のロゴが懐かしく感じられます。) |
||
当日は本来入場料大人500円なのですが、 この八甲田丸が機械遺産に認定された記念でしょうか? 入場料が無料でした。 |
||
操舵室から津軽海峡を望む。 | ||
21日、東京を出るときは雨模様でしたが、 小生晴れ男で青森は今日も晴れだった。 |
||
連絡線の下層には当時のディゼル列車が 保存されています。 幸運にもこの日は車内まで入れさせていただきました。 |
||
ディゼル機関車も一緒に保存されています。 | ||
八甲田丸から出てきたら、若い女性の 津軽三味線が聴けました。 |
||
青森駅前に最近できたワラッセ (ネブタが2階に展示されています)あります。 小生たちは今回有料につきパスして、 一路、浅虫温泉に向かいました。 |
||
入り口のネブタのレプリカの写真です。 | ||
JR青森駅と同じ(もともとJR東北本線ですから)駅から 青い森鉄道(サンセクです。)が出ています。 今年の一月に三沢の古牧温泉に行ったときも 乗車しました。 この時は大雪に見舞われて残念ながら、 青森駅から新青森まで行けませんでした。 |
||
浅虫温泉まで各駅停車でした。 | ||
浅虫温泉に到着です。 この温泉は古い歴史ある温泉ですが、 今では随分と寂れてしまったようです。 ただ、昨年新幹線が青森まで延伸したことで 今年は例年になくお客様が来ていると言う、 旅館の女将さんの話でした。 |
||
浅虫温泉駅です。 | ||
駅前には足湯があり、地元の人たちも 湯に浸かっておりました。 |
||
この古そうな伝統ある旅館が今夜の宿屋です。 辰巳館と言います。 |
||
玄関は昔懐かしい佇まいで、家のカミサンは 思わず「ゲェー」と声を上げたのです。 |
||
ところが旧館は玄関とお風呂と中庭と宴会場だけで、 宿泊の部屋は津軽海峡オーシャンビューの 10畳となかなかゆったりとした部屋でベリーグッドでした。 仲居さんも大変気さくで親切安くて料理も美味しく 戴けましたよ。 遠くに岩木山が見えました。 |
||
浅虫の夕景は中々のものでした。 | ||
部屋から横着して撮影しているので余計なものが 写っています。 |
||
綺麗な夕景でしょう! | ||
これはお子様用の夕食です。 部屋食です。 |
||
この浅虫温泉では浅虫最大の温泉ホテル海扇閣 で毎日無料で津軽三味線のライブが聴けます。 何処の旅館から聴きに行ってもOKです。 この2人は結構お上手でしたよ。 |
||
今回の旅の目的の一つは本場の津軽三味線を 一杯飲みながら聴くことでしたので 初日からラッキーでした。 |
||
高橋竹三が創始した津軽三味線 は激しく哀愁があり小生は好きですね。 |
||
最後にアンコールでネブタのお囃子と踊りまで 見せてくれました。 |
||
宿泊の辰巳館に戻ってきました。 | ||
この辰巳館では町の祭りに繰り出すネブタを 保管する倉庫が中庭にあり、 毎晩8時半から中庭に引き出して宿泊者たちを 歓迎してくれるそうです。 |
||
翌朝、何時もどおり早起きで5時から 散歩に出かけました。 浅虫探検隊です。 |
||
この「椿旅館」は昭和天皇が 宿泊された由緒ある旅館だそうです。 |
||
温泉街から坂道を少し登っていくと、 人工湖があります。 ほたる湖といいます。 蛍が沢山いるそうです、 昨日の夜に来ておけばよかったか? |
||
浅虫温泉全景地図です。 | ||
お岩木山が綺麗に見えていました。 2日目もお天気はOKです。 我が社の出勤組は青森は小生の 旅行中ズーット雨を期待していたようですが 残念ながら小生は晴れ男なのでありました。 |
||
金魚のねぶた提灯です。 |
続きは