平戸大橋 平戸市本渡と平戸島を結ぶ 長崎空港から車で2時間ほどで到着 |
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平戸城 三方を海に囲まれ天然の堀としている。 丘陵の頭頂部に本丸が築かれ、 その南側に二の丸、東側に三の丸が 配された梯郭式 |
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江戸時代平戸藩松浦氏の居城 | ||
明治4年廃藩置県により廃城となり、翌年、 |
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昭和37年模擬天守及び復興の 見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓が建てられた。 |
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今年は寒気が強く、長崎でもやっと梅の花が開花 | ||
平戸は昔より中国大陸や朝鮮との交流の要地でした。 その昔、遣隋使や遣唐使もこの地から 出発していたのだそうです。 |
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天文19年(1550)には黄金の国ジパングを 目指していたポルトガル船が平戸に入港、 ポルトガルとの貿易が始まりました。 |
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外国との貿易で栄えた平戸は「西の京」と呼ばれる ようになった。 当時フランシスコ・ザビエルも鹿児島から 平戸にきて、キリスト教を布教している。 この建物は平戸オランダ商館 1639年築造の倉庫を復元したもの |
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オランダ商館から平戸大橋を望む | ||
寺院と教会が見える景色 教会は平戸ザビエル記念教会 |
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石畳の階段が寺を通って、ザビエル教会まで続く |
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平戸の市街地から登る途中の坂道からは |
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寺の石積塀と石畳が何とも良い感じです。 | ||
シーズンオフで観光客はまばらでした。 | ||
金龍山 瑞雲禅寺 寺院と教会のみえる風景の一郭にあります。 山門のそばに、コルネリア供養塔が建っていました。 コルネリアは、平戸和蘭商館長ナイエンローデと 日本人の母の娘として生れました。 1637年にジャカルタへ渡り、裕福なオランダ人 と結婚しました。 |
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聖フランシスコ・ザビエル記念教会 平戸は、日本に初めてキリスト教を伝えた |
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江戸時代のキリスト教禁教が明治に入り解け この教会がある平戸港周辺には キリスト教徒が少なかったが、 近隣各地からの移転で信徒が増えたため、 昭和6年この教会が建てられた。 |
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按人の館 イギリス人ウイリアム・アダムスは、 オランダ艦隊の航海長として、 マゼラン海峡を経て1600年豊後に漂着しました。 |
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按針は日本と交易する諸外国と公平な 立場から商館には住まず、 この木田弥治右衛門宅を住まいとし、 在宅中はイギリス国旗を掲げて 1620年5月16日 57歳にして病に倒れ、 遠見の外人墓地に埋葬されています。 当時三浦按針が住まいにしたことから、 当屋敷を按針の館とよんでいます。 |
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幸橋 1702年築造の石造単アーチ橋 |
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生月大橋 1991年完成 平戸島と生月島を結ぶ交通手段が フェリーのみであった完成前に比べ、 供用開始2年目には観光客が約12倍になり、 その3分の2が県外からの訪問客であったという。 |
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生月港 同港は東シナ海などを漁場とする 遠洋大型まき網漁業の基地であるとともに、 定置網、一本釣り漁業などを中心とした 沿岸漁業の根拠地。 |
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塩俵断崖 柱状節理は溶岩流が厚い部分に発達する 場合が多く、玄武岩の柱はほぼ垂直で、 さらに水平に亀裂が生じてくる。 |
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まるで俵が転がっているような景観である。 | ||
生月島の最北端部は高さ100mの断崖になっており、 大碆(おおばえ)断崖といいます。 その断崖の上に白亜の大碆(おおばえ)灯台が 建っています。 |
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大碆(おおばえ)灯台からの眺め 東シナ海からの風が強く吹くため、 風力発電機がいたる所に見受けられます。 |
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ガスパル様 このガスパル様の建っている場所は黒瀬の辻の 十字架と言って生月(いきつき)のキリシタンにとっては 信仰の原点とも言える最高の聖地なのです。 1558年生月で最初にキリスト教の布教を行った ガスパル・ヴィレラ神父は、この地に大きな十字架を建て 信者達の墓としました。 その後1563年に新しい十字架が コスメ・デ・トルレス神父により建立されました。 |
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1992年に生月の多くの殉教者達の遺徳が 子々孫々まで称えられんことを祈念して 中江ノ島の見えるこの場所に生月カトリック信徒 一同により、再び十字架が建てられたものです。 |
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トマス西六左衛門(トマス にし ろくざえもん、 |
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両親は敬虔なキリシタンで、1609年に殉教した ガスパル西とウルスラ・トイである。 彼らの次男として生月島(現在の長崎県平戸市)で 生まれた[1]。 幼少のころ有馬(現在の長崎県南島原市)の セミナリオで勉学に励み、同宿(教会や 修道院で奉仕する人)になり、1620年にマニラに渡る。 「ウィキペディア」 |
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山田教会堂 |
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長崎市内 稲佐山からの夜景 平戸から長崎市内に午後7時前に到着 |
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標高333メートルの稲佐山 長崎港を見下ろす位置にあるため 山頂(展望台)から見える景色は良好で、 夜景の名所として知られる。 函館山、神戸六甲山と並んで 日本三代夜景と位置づけられている。 |
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絶景です。 | ||
長崎港は港の形を上空から見ると、 鶴が羽を広げたような形に見えることから 「鶴の港」とも呼ばれる。 |
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1571年開港 ポルトガル船の寄港地となる。 1636年港内に出島を築造 正面右端あたりが出島のあったところ? |
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中華街 | ||
中華街の規模は横浜にははるかに及びませんが 異国情緒をかもし出します。 この日の夜はホテルのチェックインが8時ころになり、 中華街はすでにオーダーストップでした。 ホテルマンに紹介された思案橋にある 地元の人に人気の「康楽」(かんろと読む。) という中華料理店で遅い夕飯となりました。 |
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夕食後夜の思案橋を一人で散策。 この後の行動は想像してください。 |
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翌朝8時半から行動開始です。 長崎は市電が便利と聞いていましたが、 結局歩くことにしました。 |
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長崎さるく 「さるく」は長崎弁でぶらぶら歩くこと。 |
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結局「さるく」ことにしました。 思案橋からスタート、 カステラの老舗「福砂屋本店」が丸山公園そば にありました。 |
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丸山公園内坂本竜馬像 坂本竜馬は幕末長崎とのかかわりは3年ほど なのですが、随分と今の長崎の観光に寄与してます。 |
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史跡 料亭「花月」
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創業三百六十有余年になります花月のお座敷で、 名物卓袱料理を堪能?(高いので今回はパスしました) |
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丸山の長崎検番 | ||
「中の茶屋」の梅 中の茶屋は寄合町の妓楼「中の筑後屋」の茶屋 |
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丸山から一段高いところに 料亭「青柳」があります、ここでも卓袱料理が いただけます。 江戸時代からの老舗です。 |
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料亭「青柳(建物は旧料亭杉本家)」 料亭杉本家は幕末には佐賀藩士だった大隈重信や 長州藩士だった井上馨(聞多)などが訪れて 国家を論じ合ったりした料亭。 |
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黄檗宗 崇福寺(そうふくじ) 三門 重要文化財 寛永6年(1629年) 長崎で貿易を行っていた |
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第一峰門(国宝)への石段 | ||
三門(重要文化財) | ||
狛犬もどことなく中国風 | ||
三門を第一峰門から撮影 長崎は何しろ平地が少ないです。 |
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第一峰門(国宝) | ||
大雄宝殿 (国宝) | ||
お寺の三門をを出てすぐに さだまさしと母親の経営するレストランがありました。 |
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寺町界隈を歩いていると、なにやら朝から人が 並んでいるお店がありました。 岩永 梅壽軒と言う和菓子屋さんです。 こちらのカステラは一日限定数量で予約か 朝一でないと手に入らないそうですが、 運よく3本買えました。 |
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寺町筋に戻ってきました。 この興福寺は日本最古の黄檗宗の寺院 1624年中国僧真円により創建された。 |
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山門が朱塗りであるため、あか寺とも呼ばれる。 |
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寺町は名前のとおり、お寺がこの道沿いに 立ち並んでいます。 |
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坂本竜馬が創設した亀山社中跡へ 急な坂道と階段が待っていました。 |
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亀山社中の跡と言われている。 亀山社中とは慶応元年(1865)、薩摩藩などの援助に よって土佐の浪人・坂本龍馬が設立した貿易商社。 |
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坂本竜馬が着た着物 だそうですが。。。。 | ||
竜馬の刀も展示されていましたが。。。 | ||
この竜馬の銅像は、亀山社中跡からさらに 階段と坂道を登ること20分くらいで 風頭公園に着きます、この展望台近くにあります。 長崎の港を見下ろすようにたっています。 |
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風頭公園からの展望 | ||
こんな坂道が続きます。 | ||
街中まで下ってくると中島川にかかる眼鏡橋に 日本最古のアーチ型石橋 |
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眼鏡橋から上流を撮影 中島川には、かつて14のアーチ石橋がありましたが 、1982(昭和57)年の長崎大水害により、 眼鏡橋ほか2橋が一部崩壊、6橋が流失しました。 眼鏡橋は1983(昭和58)年10月に、桃谷橋、 袋橋は1985(昭和60)年1月に復元されました。 |
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中島川には鯉が泳いでいます。 | ||
眼鏡橋を上流から撮影 | ||
昼食をグラバー園への入り口にある 四海楼と言う中華料理屋で食べました。 5階レストランから上海からの定期船が 到着しました。 |
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ちゃんぽんをいただきました。 東京で食べるより一寸味付けは甘めです。 |
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グラバー園からの景色 グラバー園内はエスカレーターが設置 されていました。20年前とは大違い! |
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旧グラバー住宅(国指定重要文化財) | ||
旧三菱第二ドッグハウス 明治29年建築の典型的西洋風建築 |
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旧ウォーカー住宅 イギリス人実業家ロバート・ネール・ウォーカー の次男が暮らしていた住宅。 |
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旧オルト住宅 長崎に残る最も大きな石造り住宅 (国指定重要文化財) |
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グラバー住宅まえで記念撮影のお嬢さんたち | ||
旧グラバー住宅は幕末の歴史を 飲み込んでいます。 今回の収穫、キリンビールは創業地 が横浜とは知っていましたが、グラバーが創業に 深く関与していて、その会社の役員であったことを 初めて知りました。 |
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グラバー園を出ると、長崎伝統芸能館に誘導されます。 |
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長崎くんちに奉納されるの龍踊りの白龍 |
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高台から長崎三菱重工ドック |
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ここからはゴルフ場 パサージュ琴海 ホテルの部屋からの眺め |
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ホテルはバブル崩壊後の平成4年オープンだそうです。 | ||
ゴルフコースは景色が抜群でした。 | ||
部屋からの朝日 | ||
大村湾の対岸は長崎空港のある大村市 |
2012.3.10~12